ヤマハマリン北海道製造株式会社

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ヤマハ漁船の歴史

地域を知ることで、各漁場に特化した和漁船づくりを
開発・製造してきたヤマハの和漁船の歴史

ヤマハ漁船の第一号艇は、遠洋マグロ延縄漁の搭載艇

1960年にFRP製ボートの製造を開始したヤマハが、その5年後の1965年、初めての漁船として建造したのは、マグロ延縄船「第三富士浦丸」の搭載艇でした。木船や鋼船が主流の中で、素材にFRPを用いた全長16.5m、総トン数19トンの搭載艇の建造は当時、大いに注目されました。
完成した搭載艇はマダガスカル島の沖での操業で活躍。母船による曳航や水揚げ時の接舷など、堅牢さにおいて、大いに評価されました。遠洋マグロ延縄漁は漁業形態の変化に伴い、搭載艇の需要が減少し、FRP漁船の開発は一時期停滞しましたが、日本の沿岸漁業における「和船」のFRP化においてその技術は生かされることになります。
ヤマハ漁船の第一号艇は、遠洋マグロ延縄漁の搭載艇昭和40年前後、日本の沿岸では約2万3千隻の和船が操業しており、そのほとんどが木造船でした。ところが、船大工と共に木材の減少傾向、さらには搭載エンジンの大型化による漁業形態の変化に、FRP和船が脚光を浴びることになります。
ヤマハでは、FRP製の和船を開発するにあたり、全国各地の木船を集めて、その性能の解析を行いました。特に木船からFRPへ変更することで軽量化が見込まれ、大幅な速力アップが実現する一方で、作業時の安定性や風流れの抑制、イケスの水深確保などさまざまな課題の克服が開発のポイントとなりました。

その最初の答えとして誕生したのがW-18とW-16という2隻の和船です。とはいえ、FRP和船は史上初。そう簡単に信頼を得ることはできませんでした。熱烈なファンを生む一方で、木船にこだわる人もまだ多かったのです。

ヤマハ初の漁船、第三富士浦丸搭載艇。業務艇に求められるさまざまな要素を具現化し、漁船建造の礎を築いた
ヤマハ初の和船W-18をベースに市場の意見を取り入れたW-18Aは、1万隻を超えるベストセラーとなった

ヤマハの開発スタッフは、各地の漁港に赴き、実際のFRPのカットサンプルを持ち込んで、その上でお客様にジャンプしてもらい、FRPがいかに強度において優れているかを理解してもらっていました。
さらにお客様の意見を丹念に拾い上げ、作業時の安定性や積載量の増加、重荷時の粘り強い走りといった意見を反映させてさらに改良したW-18Aを開発したのです。
W-18Aは瞬く間に各地に普及しましたが、ヤマハではこの和船をベースに、さらにお客様の声を聞きながら開発を進め、全国で使用可能な汎用和船と、地域性に特化した和船のラインナップを持つようになったのです。

有明海を席巻した初の量産型FRP漁船DWシリーズ

W-18Aの発売によって多くの人々にFRP船の良さを理解していただくことができ、ヤマハは再び漁船建造に着手することになります。最初に建造されたのは有明海の海苔養殖用の運搬船でした。それまでの漁船は浜が違えば漁船の形も違うと言われてきたものが、有明海の海苔養殖では、運搬船として使用される約6000隻がほぼ同一形(仕様)という、全国的に見ても類を見ない地域だったのです。

この海域の木船をFRP化するにあたっての細かい使用条件について、地元の造船所と漁師さんたちから様々なことを教えていただきました。この有明海の海苔船には、作業時の安定性や積載量に加えて、スピードが求められました。特に加工場と漁場が離れていることが多いため、移動の時間を短縮させるというのは鮮度維持の点からも重要視されていたのです。

FRP以前の木船は、そのスピード性能には優れていました。船尾に羽根(一種のフラップ)を取り付けることでトリムが過大になるのを防ぎ、半滑走域での効率の良い走行が可能となっていたのです。しかし、この羽根を設けることで、曳き波を乗り越えるときやチョッピーな海面を走る場合にはコントロールすることが非常に難しい船でもあったのです。ヤマハではこれらを踏まえて建造を進めていきました。まずは係留時に浜座りが可能な船型であること。そして羽根(フラップ)が無くても、安定した走りができることなどが課題でした。

こうした問題点をクリアするために、さまざまな角度から研究を進めました。船尾は従来からある5枚船型と同じような断面とすることにより、滑らかな旋回の動きを得られるようにしました。合わせて主要部の仕様詳細を詰めていきましたが、開発を進めていくうちに、できあがった船のイメージは従来からある有明海の海苔養殖船や伝統的な和船と同様に浅く、細長く、フレアーの無いものでした。そしてこの日本独特の船型を踏襲した船の模型を作成してテストを重ねることで、抵抗が少なく、安定性に優れ、操船のしやすい船に仕立てることができました。それがヤマハ初の量産型漁船「DW-40」です。

ヤマハFRP漁船の評価は徐々に高まり、約6000隻の有明海の海苔養殖船市場において累計販売数が4500隻に達するまでに成長。
さらに、この有明海仕様をベースとしたDW漁船は、瀬戸内海の刺網船や、宮城松島の海苔養殖船など、さまざまな港に広がっていきました。

ヤマハ初の量産型漁船DW-40は有明海の海苔市場向けに開発し、累計販売数4500 隻という記録を樹立した
DW-40によって海苔市場における知名度を高めたヤマハ漁船だが、市場に最も導入されたのは改良を重ねたDW-43だった

DY、DT、DX、全国津々浦で活躍するヤマハ漁船

海苔養殖に特化したDWシリーズ開発後、ヤマハは全国各地の沿岸漁業を対象とした漁船の開発を進めていきます。DWの次に開発したのは、主に外洋での操業に対応するDYシリーズです。DYシリーズは外洋での作業が想定されているため、とりわけ航行時の凌波性と作業時の安定性に優れており、その特徴は現在のDY漁船にも引き継がれています。

DYシリーズの初期モデルとして人気を博したのがDY-38A。5トン未満でありながら、沖での作業性に優れた漁船で、一本釣りや延縄などの汎用船として活躍した
現在のDYシリーズ

DYシリーズで沖合での漁船をカバーした一方、瀬戸内海などの内海で数多く操業する底曳漁に対応するためにさらにDTシリーズを開発。その初号艇がDT-41-0です。底曳漁は漁業調整規制等により、船体やエンジンに関する仕様が細かく定められていますが、ヤマハはこれらの数値をベースにスピードの出る船形や網を曳く力、風流れ抑止などを研究。DT-41-0は従来の底曳漁船を上回るバランスを有し、瀬戸内海はもとより、大阪湾、三河湾など底曳漁が盛んに行われる市場に相次いで導入されました。

また、定置網の網起こし専用船として開発されたDX-38(当初はDT-38として発売、後にモデル名変更)は、発売開始から11年間同じ仕様で送り出されるベストセラーモデルとなりました。ヤマハ漁船の中でもDYと人気を二分するDXシリーズは、当時のDYやDT、DWの開発で培われた設計・建造技術が大いに生かされ、北海道から沖縄までの様々な漁業に対応する漁船として注目されました。

北海道や東北地区で圧倒的な人気を博したのがDX-45などの汎用漁船であり、主に陸奥湾や噴火湾のホタテ養殖船として導入された
底曳漁に対応する船型として開発されたDT-43。DTシリーズは主に大阪湾や播磨灘、瀬戸内海で活躍した

漁船のFRP化は搭載エンジンの大型化を可能とし、様々な漁労機器の開発を促す結果となり、沿岸漁業の近代化と省力化を加速させました。高度経済成長を経て沿岸漁業が成熟期に入ると、漁船の性能が水揚げを左右するといわれるほど、重要な役割を担うようになるのです。その中でもヤマハ漁船と和船は、FRP化を促進するばかりでなく、航行性能や作業性、信頼性といったトータルバランスに優れた船として、漁業に従事する人々から圧倒的な人気を得て、今日まで建造が続いています。

北は宗谷岬から南は八重山諸島まで。ヤマハの漁船と和船は、全国各地の津々浦々で活躍する漁師の人々が築き上げてきた船への思いが形になったものなのです。

食糧供給事業として人々を支える水産業

そして今、世界は過去の大型船による「獲る漁業」から、資源持続継続が可能な「沿岸増養殖漁業」にシフトされています。
日本の増養殖漁業とその品質管理・安全性に注目される中、北海道や東北の北日本エリアでは、国内増養殖漁業生産額の50%を支えています。
ヤマハは、世界でもっとも優れた品質の沿岸漁業向け船舶を製造供給することで、その増養殖漁業を支えています。