
大漁ニュース 192号掲載(2016年)
国内のホタテ生産の約8割を担う北海道では、道内各地でその養殖風景を見ることができます。
今回訪れたのは日本海に面した苫前。
港を出ればすぐに外洋となるこの地でもホタテ養殖は基幹産業として根付いています。



苫前でホタテ養殖が始まったのは今から約40年前のこと。
ちょうどオホーツク側では地撒き養殖が始まった頃だと、〈第三十八幸恵丸〉の船主、加藤孝幸(55歳)さんは振り返ります。
「うちの親父が借金して60歳からホタテを始めたから、今でも覚えていますよ。当時はこんなに情報やら技術が発達していないから、稚貝の生産なんか周囲からは無理だと言われてね。自分は当時、学校を出て陸勤めをしていたんだけど、親父が借金をしながら懸命に養殖をやっている姿を見て、思えば自分は漁業にここまで育てられたようなものだと気づいてね。それで跡を継ごうと決めました」


ホタテ稚貝の生産は、当時の苫前にとって新たな時代を拓く漁業として組合主導で行われ、最初は10軒が取り組み、加藤さんの父親もその中のひとりとして試行錯誤を重ねていました。
そうした前向きな姿に、加藤さんも自分の将来像を重ねていったのでしょう。
「ここは外海養殖だから、貝を育てる前に養殖棚が設置できるかどうかが大きな課題だったんです。それこそ最初の頃は海が時化る度に、いくつかの棚がダメになったこともありました。当時はユニックではなくてボンブだったから、手間も多くてね。それからスーパーアンカーができて、養殖棚が固定できたことで、生産も軌道に乗ることができたんですよね」


現在の苫前では、稚貝と半成貝の生産を主に、オホーツク、宮城、韓国など各地に出荷しており、生産もフル稼働が続いているといいます。
そして加藤さんは借金を気にせずに生産に打ち込めるのがありがたいと手応えを感じているのです。
「私たちの稚貝は宮城への出荷量が多かったので震災が起きたときには、途方に暮れたんですけど、同じように宮城から貝を購入していた韓国との取引が始まりました。そして宮城も急ピッチで復旧したので、今は出荷先が増えてしまって、逆に施設のやりくりを考えながら養殖している状況です。どうしても冬場は海が荒れて出られなくなるので、頭の中では常に春から年末までの計画がぐるぐる回っている感じですよ」
ここ数年は出荷も金額も安定しているという加藤さんを支えるのが、愛艇の〈第三十八幸恵丸〉です。
「この前の船はDX-79の一番船で、良い船だったけど、このDX-97C-0Aも腰があって安定性のあるいい船だよ。前の船から比べれば一回り大きいから単純には比べられないけど、今のホタテを支える大切な相棒だね」と笑みを見せました。
