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仕事でつらいと思ったことはない(青森県西津軽郡深浦町)

DX-73-0A
第五十八 福神丸 仕事でつらいと思ったことはない

大漁ニュース 190号掲載(2015年)

世界遺産・白神山地を背景に、静かに、美しくたたずむ青森県西津軽の沢辺漁港。
「ここで女優の吉永小百合が観光ポスターの撮影をしたんだよ」と誇らしげに教えてくれたのは、この道50年以上になるベテラン漁師、沖見一男さんです。
愛艇は平成13年に建造した「第五十八 福神丸」(DX-73-0A)。
長男の貴彦さんとともに出漁する毎日を過ごしています。

刺し網を上げた後、新しい網を仕掛けて帰港。
沖でも網から魚をはず作業は行うが、それだけでは終わらない。

3月の下旬、某日。
この日の出漁時間は午前4時30分。
船主の沖見一男さん、一男さんの長男・貴彦さん、そして一戸誠さんの3人を乗せた「第五十八福神丸」は沖へと向かいます。
連日吹いていた強風はやや収まりつつあったものの、荒い波が福神丸の船体をたたきつけます。
刺し網を仕掛けた漁場まではおよそ30分。
水深230mほどの海域で長さ300mの刺網を上げていきます。
漁場についても波は荒く、気の抜けない作業が続きますが、それでもDX-73の頑強な船体は作業する者に安心感を与えてくれます。

「第五十八福神丸」(DX-73-0A)は平成13年に新造した。

出漁する前日、沖見さんのご自宅で漁についてお話をお聞きしました。
沖見さんはこの沢辺に生まれ、学校を卒業してすぐに漁師としての道を歩み始めましたが、様々な漁を体験してきました。
今でこそ深浦に落ち着き漁を営んでいますが、若い頃の主戦場は北海道。
羅臼や網走などで定置網漁船の乗組員や船頭もつとめています。
水産会社の大型漁船に乗り組み北洋へと出漁した経験も。
28歳の頃には古い木船を手に入れ独立、さらに35歳で船を新造しますが、それでも北海道への出稼ぎはしばらくの間続けていました。
「海に出て仕事して、それがつらいと思ったことはねえなあ。飯を食うために仕事して生きていく、人間、そういうものだろ」
漁師として、人間としての誇りを感じさせる一言です。
沖見さんが古い記憶をたどりながら「あれはいつだったかな」と考え込むと、傍らにいる奥様のヒロ子さんが、すぐにサポート。
「今のヤマハ船になったのは平成13年」とすぐさま教えてくれたのもヒロ子さんです。
ご夫婦で支え合って来られた様子がさりげなくとも伝わってくるのです。

休漁日、作業場で刺し網の修繕をする貴彦さん。時化の日でも仕事は続く。

沖見さんは女の子と男の子、二人のお子さんの父親ですが、そのうちの男の子、といっても今年39歳になる貴彦さんもまた、父親と同じ道を歩んでいます。
ともに様々な漁を営んでいるわけですが、貴彦さんにとって仕事の魅力は「やっぱり、たくさん獲れたときだ」といいます。
親子そろって、根っからの漁師なのだと感じさせます。
沖見さんが年間を通じて行う漁は多岐にわたります。
3月から4月にかけてはメバルやカレイの刺網、4月から8月にかけては小型定置網。
ここではブリやヒラメ、タイ、マグロといった漁獲があります。
さらに7月の終わりから10月にかけては30キロほど沖合に浮かぶ久六島周辺でマグロの延縄漁を行います。
そしてそれが終わるとタラの刺網。
一番おもしろい漁は?と聞くと「マグロかな」と答える一男さん。
何より魚が大きいことがその理由。
でも笑いながら「一番好きなのは定置網。実は一番ラクなんだ」とも。
仕事でつらいと思ったことはなくても、ラクに越したことはないというのは、人情です。

この日はカレイの刺網漁。明け方に出航し操業する。
漁が終わる頃、世界遺産の白神山地の背後から陽が昇りはじめる。

さて、この日はたくさんのカレイが刺し網にかかりました。
白神山地から日が昇りきったころ、港に戻ると、一男さんと貴彦さんの奥様も加わり、刺網から魚を外し箱に詰めて出荷するという、家族総出の作業に移ります。
誰ともなく冗談を交わし合い、港に舫われた船上に笑顔と笑い声が響きます。
そばでは貴彦さんの息子さんが網にかかった海老などの雑魚を手に取り遊び回っていました。
親から子へ、そしてまたその子へ。
海の仕事は、こうして引き継がれていくのでしょうか。
早春の沢辺漁港には、暖かな陽の光が降り注いでいました。

帰港後、家族が集まっての作業が始まる。