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まるで洋上の人口作業島(北海道紋別漁港)

DX-97C-0A
第七十五 克恵丸 まるで洋上の人口作業島

大漁ニュース 190号掲載(2015年)

間もなく5月も終わろうとしている北海道の紋別漁港。暦の上では初夏へと移りつつありますが、朝晩はかなりの冷え込みです。
夜の23時30分、「第七十五 克恵丸」(DX-97C-0A)は静かに舫いを解き、漆黒に包まれた沖の漁場を目指します。

第七十五 克恵丸のみなさん。右から能登谷勲さん、能登谷雅範さん、大崎俊樹さん、能登谷昇さん。イカの時期にはもう一人加わり5人体制になる。
黙々と操業を続ける4人の動きには一切の無駄がない。

船に乗っているのは船主の能登谷勲さん(50歳)、そして叔父にあたる船頭の能登谷雅範さん、雅範さんの息子である昇さん、20代の若手漁師・大崎俊樹さんの計4名。
漁場に着くと、早速、底建網の網起こし。
沖に仕掛けられた建網は計7か統。船頭の雅範さんが大声で指示するようなことはまったくなく、手際よくほぼ無言で作業を進めていきます。
4人の息はぴったりと合い、それはまさに「プロの仕事」といえる見事なもの。
能登谷さんたちの手練によるところが大きいのはもちろんですが、スムーズに操業できるその背景には、2年前の2013年9月に進水したDX-97C-0Aの性能も寄与しているかもしれません。

ローリングすることもなく時化の時でも安心感があると評価する。

定置網の作業船としてヤマハの和船と船外機を使用しているものの、能登谷さんたちにとって「第七十五 克恵丸」は初めてのヤマハ漁船でした。
「中古でも人気があったようなので、(ヤマハは)かなりいいんだろうなとは思っていました。実際に使ってみて、大いに満足しています。安定性が良くてローリングしない。特に沖で時化られたときなどでも安心感がありました。積載量も大きく、漁協経営のホタテの稚貝を運搬することがあるのですが、そのときも活躍します」(能登谷勲さん)

船主の能登谷勲さん。高校卒業後、1年間の学業生活を経て漁業に従事してきた。
大物のホッケやニシンは船上で活締めにする。
次の網に移動する間に大きさ、魚種ごとに選別。

若い頃からなんとなく「自分は漁師になるんだろうな」と考えていたという勲さんですが、特に父親が船を降りてからは、紋別の沿岸漁業の次代を担う漁業従事者として意識も高まっていきます。
この7年ほど前から少しでも魚の価値を高めていきたいと考え、取り組んだのが活締めホッケの出荷です。
一定以上のサイズのホッケを船上で選り分け、循環イケスに生かし、作業の合間を縫っては沖合でホッケを締めていきます。

漁港に戻り、再度細かく選別して出荷する。
活締めホッケには「克恵丸」のシール。

締め方などの工夫を重ね品質も上がり、「克恵丸」のシールが貼られた活締めホッケ。
ヤマハ漁船と能登谷さんたちから送り出されるそのホッケは、札幌などの消費地で評価が上がっていると、能登谷さんが嬉しそうに教えてくれました。