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海は光り輝き、復興している(宮城県南三陸町)

W-35
招福丸 海は光り輝き、復興している

大漁ニュース 186号掲載(2013年)

取材先の南三陸町、志津川地区を目指して車を走らせていると、ナビが「次の信号を左折です」などと盛んに指示を出してきます。
でも、そこには信号はありません。
地図を見ると町役場や病院など、目印となる建物がいくつも出てきます。
でも実際にはそれらの建物は無く、目の前には荒涼とした土地が広がるだけです。
地震の傷跡と言うにはあまりにもむごい風景かもしれません。
それでも、また、ここでも、町の人々は一歩一歩、復興に向けて歩んでいます。
目の前に広がる静かな海は、きらきらと輝いています。

南三陸町の沖合でワカメの刈り取り作業を行う「招福丸」(ヤマハ復興和船「W-35」)

昭和38年生まれの渡辺哲さんは水産高校を卒業するとすぐさまマグロの遠洋漁船に乗り込み、漁師としてのキャリアをスタートさせました。
遠洋を降りたのは26歳の時。それ以来、この志津川で漁業に取り組んできました。
順調に漁業者としての道を歩いていた2011年3月11日に大地震が発生。
テレビや新聞で報道されたように志津川の被害は甚大で、多くの人が亡くなり、また、ほとんどの漁船が流失しました。
漁業者の中には廃業する人も多くありましたが、渡辺さんは踏みとどまり、漁業を続ける決意をしました。
震災後の志津川は復興に向けて歩み始めようにも、手がかりすらない、そんな状況でしたが、美しいリアス式の海岸に抱かれた豊饒の海は厳しい環境の中でも自力で浄化し、ワカメやホヤ、コンブをはじめとした養殖が少しずつスタートしていきました。

搭載エンジンは「F225B」。収穫したワカメを満船にしても快走。
渡辺さんの母親のいさ子さん、ご友人の高橋富士男さんも乗り組んで作業している。

震災から2年が過ぎたある春の一日、この日はワカメの収穫です。
真新しい船は今年の1月に進水したヤマハの復興和船「W-35」。
エンジンは「F225」を搭載し、ワカメを満載にしても余力を残して快走します。
「いいエンジンと船ですよ。ここで漁を始めてからずっと船外機はヤマハです。ほとんどトラブルはないし、たとえ何かあっても佐藤鉄工さん(地元のヤマハ取扱店)がすぐに何とかしてくれる」と信頼を寄せています。

刈り取ったワカメはメカブを出荷。

沖合の作業から浜に戻ると、すぐさまワカメの葉を切り取る作業が始まります。
「(震災後の影響で)今はワカメを製品化する施設がないから、生でそのまま出せるメカブを採取しているんですよ」と渡辺さん。
「水揚げ施設も港もなかなか元には戻りません。水産加工施設も再開したところもありますが完璧な工場を備えているところはありません。復興と言っても現実的にはまだ遠い。それでも海そのものは復興しているんです。今、ワカメの他にホヤを海中に吊してあります。来年には出荷できます。それからですね、少しずつですが”普通”になっていくのは」
メカブの切り分け作業の手を休めることなく渡辺さんは語ります。
まわりを見回すと、そこにはいつの間にか他の漁業者や、他所からやってきたボランティアスタッフが集まってきて、笑顔で作業を手伝うシーンがありました。

「復興と言っても現実的にはまだ遠い。それでも海そのものは復興しているんです」と語る渡辺さん