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心意気で前に進むのみ!(岩手県宮古市)

DX-37C-0A
新洋丸 心意気で前に進むのみ!

大漁ニュース 186号掲載(2013年)

地元の水産高校の機関科を卒業したあと、遠洋のマグロ漁船に乗って世界中の海を駆け巡ってきた佐々木敏行さん(57歳)が、生まれ故郷の田老町(岩手県)で沿岸漁業の道に踏み出したのは10年ほど前のこと。
「母親の面倒を見なくちゃいけない歳になったからね」と、30年ぶりに地元の三陸の海に帰ってきた佐々木さんは、地元の漁師に教わりながら基本的なスキルを身につけ、マグロ漁船で貯めたお金で中古の漁船を手に入れ、タコ篭漁(4~8月)と鮭刺し網漁(11~12月)を軸に、三陸の漁師として独り立ちしました。
「若い頃は、何もないこの町が嫌で嫌でしょうがなかったんだけど、今こうして見ると、こんな美しい海岸線は世界にもないんだよね」と、佐々木さんが故郷の海の美しさを改めて再認識した頃、東日本大震災の大津波が田老町を襲いました。

「幸い自宅は高台にあったので無事だったんだけど、漁港にあった船は津波に持って行かれた」 ようやく軌道に乗り始めた生活が一瞬にして「無」になってしまいました。漁に出ることもできず、短期の遠洋漁業でアルバイトするなどして生活を維持してきた佐々木さんが、再び三陸の海へと出ることができたのは津波から1年半以上経った2012年11 月。「新洋丸」(DX-37C-0A)が進水したのです。

2012年11月に進水したDX-37C-0A「新洋丸」

瓦礫こそ撤去されたものの、流された家の基礎がそのまま残るなど、津波の爪痕が生々しく残る田老の町ですが、田老漁港には数多くの重機が入り、岸壁のコンクリートを打ち直すなど、土木作業のただ中にあります。まだ岸壁に横付けすることはできず、沖泊めを余儀なくされているものの、眩いばかりの新造船がズラリと並ぶその光景は復興への息吹を感じさせます。

田老の漁港はまだ復興作業中だが、漁師たちは沖に出る日々を取り戻しつつある

「経済的負担は少なくなかったけど、古い船が新しくなったし、新しい船はデッキも広くて作業がしやすいし、悪いことばかりじゃない。そう考えるようにしてますよ」と佐々木さんはあくまでも前向きです。
津波の前と後で、漁場の変化があったかどうかという質問についても、「まあ、前によく採れた場所でタコが入らなくなったというのはあるけど、それが津波の影響かどうかはわからないでしょ?」と、何でもかんでも津波のせいにしていては前に進めないというのが、佐々木さんの心意気です。
沖から見れば津波の前と変わらない美しい風景を見せる三陸海岸をバックに、元気に漁に出る漁船の姿は、この地の復興のシンボルとなっています。

使いやすい艏デッキ。安定性の良さは佐々木さんのお気に入り
獲ったタコは1匹ずつ網に入れる
大型のミズダコが次々と籠に入る
「いつまでも考えていたら前に進めない」と佐々木さん